結婚・不妊治療・離婚 3年間の経験をつづった三十路女の気ままなブログ

人生いろいろあるよねってことを記憶が薄れてしまう前に書き留めています。

離婚へ

随分と時間が経ってしまいました。

今日は離婚届けを提出するまでにあった出来事をつづり

離婚に関しての記事はこれで終了にしたいと思います。

 

3回目の借金が発覚し、私は完全に「旦那、アウト~~~」状態になりました。

まず、住んでいた家は私名義の借上げマンションだったので、旦那には実家に帰ってもらいました。(実家は2駅先のご近所)

 

旦那にはすぐに離婚届けを役所に取ってきてもらうように頼みました。

自分の過ちでこうなったのだから、書類はあなたが取りに行ってほしいとお願いしました。

すぐに取りに行ってはくれました。

ですが、旦那の欄を記載するのは書けないと言って書いてくれず、しばらく彼が持ち帰ることとなりました。

 

私は母親に電話で事情を説明し、たぶんもう無理だと思うという旨を伝えました。

母親は3回目で治らないなら病気かもね・・・。

最終的にはあんたが決めたらいいけど、よく考えやという感じで諦めがついているという印象でした。

 

旦那の実家は最初の1週間はちょっとした夫婦喧嘩だと思い、特に言及もしていなかったようです。その後、一向に自分の家に帰らない息子を見て、何があったのかと問いただしたところ、自分が借金作って離婚すると言われていると白状しました。

 

彼のご両親は驚き、狼狽しました。

 

すぐに私に連絡がきて、話し合いたいから今日家に行きたいと言われました。

私はご両親にご足労をおかけするのは筋違いと感じたので仕事帰りに彼の実家に行きました。

そこでこれまで何度も借金をし、そのたびにウソをつき、もう2度としないと誓ったのに繰り返してきたことを話ました。

お母さんは泣いていました。

もう2度とさせないから、本当に最後のチャンスで許してあげることはできないかと懇願されました。

36歳にもなった大人が母親に2度とさせないなんて、いったいどうやって管理するつもりなのかと私の気持ちは冷静でした。

また、こうやって母親を悲しませてしまう男にもうなんの魅力も感じなくなっていました。

私はご両親には、今まで裏切られ過ぎてもう疲れたこと、もう信じられないことを告げました。

1時間ほど話、ご両親は納得してくれました。ちょうどその時、旦那が会社から帰ってきました。

私は離婚届けの旦那の欄を書いて欲しいと頼んでいましたが、なかなか書いてくれていなかったことをご両親に話、この場で書類への記載をお願いしました。

その時にはご両親は全部お前が悪いんだから、責任持って書けと記載を促してくれました。

こうして私はすべて記載された離婚届けを手に入れることができました。

 

それから一度も旦那が2人で暮らした家で暮らすことはありませんでした。

離婚届けを出すまでは何度か家に来て、話合ったり、土下座されたり手紙で謝られたりしましたが、私の中ではもう何かの糸が切れたように終わった感覚があり、許すことはありませんでした。

 

離婚届けは12月22日に2人で役所に出しに行きました。

嫌なことは2018年中に終わらせようという気持ちは一致していました。

入籍した時も祝日で休日で、今回も週末で役所は休日窓口でした。

同じ窓口に2人で出しにいきました。

紙切れ1枚で結婚とか離婚とかあんまりピンと来ませんでしたが

私の結婚生活はこれで終わりました。

2015年11月22日に入籍し、2016年5月8日に結婚式を行い

ほぼ3年間の結婚生活でした。

直前まで妊活をし、仲のいい夫婦でしたが、結局はウソの上に

成り立っていた仲の良さ、結婚生活だったのかなと思うと空しくなります。

彼一人が悪いわけではないと思います。

私の方が収入が多く、企業の規模も違うことに彼はずっとコンプレックスに

感じていました。そこをもっと理解して、男性のプライドの高さを理解して

お金に後ろめたさを感じないようにサポートしてあげられたら良かったのかなと思います。

いいことも、悪いことも含めて、私と結婚してくれたことを感謝して、

次の人生を歩みたいと思います。